そらとぶくうどう。

ベリリウムの電脳スペース。空飛ぶ空洞のブログです。

就活二年生~履修登録ミスをどう説明するか3~

履修登録ミスは履修登録ミスなので仕方がありません。

就活をして実感しましたが、恐ろしいことに経歴はウソがつきません。

したがって大事なことは「履修登録ミスしたから留年した」と話すのではなく、

「頑張っていたことがあったから(結果的になんかミスして)留年した」とできるだけミスを誤魔化して経歴を話すことです。

 

僕は自分自身がその時期に行っていた同人活動を引き合いにだして、とくに以下の点に気をつけて説明しました。

 

気をつけたことは

履修登録ミスと言わないこと。

②高い意識と目的を持って同人活動を続けていたと説明すること。

③その結果留年になったと仄めかすこと。

④その結果何を学んだかを伝えること。

 

面「履歴書の学歴は一年多いよね?これはどうして?」

僕「私は在学までに一度ビジネスを学んでみたいと考えており、友人と作品を製作し販売する活動(実際はただの同人)に注力していました。その活動が忙しく、あまり学校に行く機会が作れず…」

面「単位(修得)が足りなかったんだ?」

僕「そうなんです、はい…(すかさず同意)」

面「その活動から何か学んだことはある?」

僕「作品の製作のためには納期に合わせて材料や資金を用意するほか、様々な人との都合を調整することが必要で、それらを一手に引き受けてうまく進行することが難しかったです。(実際はちょっと進行に絡んだだけ)しかしおかげで一から計画を立て、プロジェクトをマネジメントする力が身に付きました。」

面「なるほどですね~」

 

という感じです。これでなんとかなりました。

実際この壁さえ乗り切れば、一年就活してきた分の力はあるはずなので他の学生より有利に進められると思います。僕の場合は無限ポジティブ思考停止野郎(=馬鹿)だったので結局6月までやってましたが、早く対策できればその分早く決まるかと思います。

 

さて長々と自身の就活を振り返ってみました。こんな長文を読んで読んでくださってありがとうございました。

僕の体験では参考にならないかもですが、

これから就職浪人しようと考えている方、

不幸にも卒業できなかった方、

そして現在就活二年生として戦っておられる方が読んで

「こんなやつでも決まるんだ」

と安心してくれればいいなと思います。

 

(おわり)

 

 

就活二年生終了~履修登録ミスをどう説明するか2~

無限ポジティブ人間である僕が就活二年生として活動を始めたのは今年の3月からです。

3月までは前回の就職活動の反省から必死に「学生時代に力を入れたこと」を作っていました。ほんとに頑張っていたのでほんとに忙しく、スタートはそれが終ってからになってしまいました。

しかし無限ポジティブ人間でかつ就活二年生である僕にはもう一年目の経験が上積みされているのでもう余裕だろうとか考えていました。「学生時代に力を入れたこと」もあったし、まぁ適当にやっていても7月までには決まるだろうとか、甘く考えていました。(結果的にはあたっていたことになりますが…)

 

内定ブルーの反省から無限ポジティブ就活二年生として僕が目指したことは二つ。

1) SEはできるだけ避けて営業になる。

2) 一年目受けなかった大手も受けて、自分でつぶれないと思える会社に入る。

 

そしてこんな風に就活が進んで行きました。

3月:頑張って作った「学生時代頑張ったこと」を使って大手中心に15社程度ESを出す。

→半分以上通って喜ぶ。(ちなみに僕の一年目のESは一枚しか通りませんでした。)

4月:選考に進む。ほぼほぼ一次で落とされる。一社最終まで残るもそこも落ちる。

→ここでやっと去年とは面接のやり方も変える必要があることに気づく。(思考停止馬鹿の本領を見事に発揮しました!)

5月:大学の就活相談などに相談し、面接練習を行う。選考は4月と同様ほぼ一次で落ちたが一社最終まで進む。

→ここの最終で、

「在学年数が一年多いけど、何してたの?」

とついに聞かれました。

 

 

最初の最終面接で聞かれなかったため、「聞かれないものなのかな?」と勝手に思いこんでいた僕はこの質問に対しての回答を用意しておらず、とっさに

「えー履修ミスをしまして、卒業できませんでした。」と正直に答えてしまいました。

すると面接官から

「そうなんだ。時間はいっぱいあったと思うけど、なにか留年してからの期間でどこか成長したことはある?」と聞かれ、

無限思考停止野郎である僕はこの質問に対しての回答も用意しておらず、これまたとっさに

「えーと………営業になりたいと思うようになりました………」と何も成長してない感じで答えてしまいました。

 

 

落とされました。

 

 

 

ここで僕にとってやっと就活二年生の壁が露わになりました。面接の数は少ないながら僕の経験から言わせると就活二年生や就活浪人の壁とは以下の2点にまとめられると思います。

 

1) 留学や正当な理由による休学でなければ、年次が一年多いことは経歴のヨゴレであること。

2) この経歴のヨゴレをできるだけきれいに説明すること。

 

よく「浪人とか一個上だし年齢的には一緒だし大丈夫でしょ」と言われますが、これはまったくその通りだと思いますし、企業も年齢自体はそんなに気にしていないかと。

しかし同じ一年分で「何をしていた人なのか」が浪人ならば大学受験と一言で言えるほど明確です。それに対し留年はそこが曖昧です。そのため企業からすれば納得のいく説明をしてほしいところなのでしょう。

そして実際、「履修ミス」をやらかして留年する輩もいる。企業の懸念はもっともだといえます。

 

4月はESや一次で留年について聞いてくることは少なく、書類選考も改善すれば昨年よりも通ります。しかし選考が進むにつれてこのことは必ず聞かれます。

また6月に入り大手の選考が終盤に差し掛かってくると、選考を早く進めるためにも選考の基準にする企業も多い。(留年の事実に触れたあと「もうお前には興味ねぇよ」オーラが出ることはしばしばありました。)

 

とはいえ選考の基準にしない企業もあります。

そしてこうした企業では「何故留年して、留年のあいだ何をしてどう成長したか」がに納得のいく説明が必要です。最終まで進めば優秀な学生がそろっているためなおのこと、ヨゴレた経歴の分だけ成長してないと、ヨゴレのないきれいな他の学生を採用したくなるものみたいです。

 

僕の場合は留学もしていないうえ、単位が出る出ない以前の「履修登録のミス」で留年しているため、これをどう説明するかが壁として立ちふさがりました。

 

 (3につづく)

 

就活二年生終了~履修登録ミスをどう説明するか1~

つい先日就活二年生として内定を頂きました。

 

卒業後はSEか営業として社会に出て働くことになります。

頭がいいわけでもなく、器用でもなく、むしろ不器用の塊で

バイトですら満足にこなせない僕が社会に出て働くのだから不安しかありません。

とりあえず社会は戦場だと考えて、全力で生き残り戦争していく所存ですので

先に社会に出られた先輩サバイバー達は来年からお手柔らかによろしくお願いします。

 

就活に行き詰まってしまい友達や信頼できる誰かに相談できない状態が続くと

なんとか打開策を見つけようとネットに聞いて、ウソか本当か分からない情報に踊らされたり、むしろ積極的に自ら踊ってあんなに馬鹿にしていたyahoo知恵袋の相談えお眺めて一喜一憂してみたりします。

あくまで僕個人の意見ですが、こうした情報は有用かどうかはともかく

「同じ悩みを持つ人がごまんといること」

を教えてくれるためずいぶんと自分の心持を楽にしてくれます。

 

しかし、「就活二年生」ともなるともう参考にできるモデル(友人・ネット)がいないのが実情で、どんな苦難が待ち受けているのか分からず不安な方や、現在就活中で僕と同じように苦しんでいる方もいるのかと思います。

そこで、ここから先は「就活二年生」である僕の今年の就活について振り返ります。

みなさんは「こんなやつもいるんだ。」程度に参考にしてくださればいいかと。

 

僕が就活二年生になったのは「履修登録ミス」が原因でした。

一年目:

営業は嫌だと最初から思っており、この否定形の動機に動かされながら文系SEを目指し就活を行いました。始めるのも遅くて2月あたりから始めました。

こんな薄弱な意思で就活をしているためか一次面接でずいぶんと落とされ、最終まで進めたのは結局2社だけでした。

しかし7月には内定を頂くことができたので、そのままの流れでその会社に就職しようと思いました。

 

しかしSEという職種についての理解(業務内容ではなく、社会における評価や評判、またSEとしてのキャリアアップに対する認識)が足りずこの仕事を続けることに早速不安を持ちました。

そしてなにより当の会社に対しても今後40年以上もその会社が事業を続けられるようには思えませんでした。

内定ブルー」という言葉もありますが、内定を取るまでは内定を取ること自体に必死で、いざ内定をもらった会社や仕事には不安しか感じれないという状態で自分の就職活動の結果にずいぶんと後悔はしていました。

 

そんな思いを抱えたまま内定式を終え、さらに不安な気持ちが強くなってきた11月の末に単位の登録ミス(必修単位の種類を勘違いして間違えて登録していました…)が発覚。留年が決定。内定は取り消し。家族はびっくり。僕は目の前が真っ暗になり、周りは失望しました。

 

しかし僕は無限にポジティブ人間なのでこれは「就活をやりなおすいいチャンスでもある!」と開き直り無限にポジティブに思考しました。

 

しかし僕は自分の頭がよくないことを忘れていました。無限にポジティブ思考は言いかえれば現実に対する思考停止でした。

 

(2につづく)

 

東京日和

つい先日、東京は原宿に行ってきました。

目的は公募展の搬入のためだったんですが、就活二年生の僕はついでに説明会も行ってきました。(あくまで「ついで」です。)もちろんスーツを着ていて、おかげで原宿では浮きました。

関西人の僕にとって原宿は若者の街ってイメージだったのですが、想像通りでした。大阪でいう難波のアメ村みたいな。なんかゴツイ外国人とかスゴイ頭の色をした人がたくさん歩いていましたね。

 

問題はそれからでした。無事搬入も済み、僕には夜行バスに乗って関西に帰るという用事しかなく、ぼっちの僕には東京に親しい友人もいないので暇を極めることができてしまいそうだった。

そこで原宿から夜行バスの出る東京まで、お金の節約にもなるので歩いて観光してみようと思ったわけです。迷ったりしたおかげで結局3時間近く歩きっぱなすことになり、めちゃんこ疲れました。まぁおかげで面白いものも見れたんですけど。

 

以下、印象に残ったモノを書きとめておきます。

ワタリウム美術館

JRの展示で前から気になってました。今はRudolf Steiner(ルドルフ・シュタイナー)の展示をやっています。

(リンクはこちら)

坂口恭平の特別展示もやってたみたいで、地下のグッズは彼に関するグッズでいっぱいでした。残念ながら興味が湧かなかったので、どちらも見ることなく去ってしまいました。

 

②国会議事堂:

夜ではありましたが、見たことなかったので行ってみました。するとテレビで見たことあるような抗議団体の人々がわんちゃといてどんがら音を立てていました。原発の再稼働に反対する団体のようで、国会議事堂の周りでメガホン持って叫んだり、はたまた演説したり拍手したり、音楽やったりしてました。

ただ、あの場で叫んだり演説したり音楽やったりすることにどれだけの意味があるのかよく分からなかったので、すこし気持ち悪かったですね。まさしくシュール(現実離れ)って感じでした。

 

③皇居:

以前から走っている人は見かけていたのですが、金曜日の夜にもなるとまるでマラソンでもやってるのかと思うくらいに人通りが多い。どうやら回り方もおおむね決まってるみたいで、「木曜だったら逆回りだったりするのかしら」と思いました。

 

つじ田

有名なのかな?昼間のランチタイムの時分から行列を見かけていたので気になって入店。みなさんつけ麺を頼まれているようだったので僕もつけ麺(二代目でないほう)を食べました。

味は本当においしかったです。表現できる言葉をもちませんが、ほんとにおいしかった。

 

以上、夜行バスではぐっすり眠れる質の僕ですが、この日は疲れて特にぐっすり眠れました。公募展に出した作品は散々なので、反省して次に活かします。来月には結果が分かっているので結果が分かればpixivにあげようかと考えています。

暇な方は見てやってください。それでは。

 

 

 

「凡人」をテーマに作文せよ。

凡人をテーマに作文せよとのことだったので、命令に従った。

(KADOKAWAの新卒採用を志望した方なら分かると思います。)

その出力したものが紙束の中から出てきてたのでここに記す。

 

タイトル:特別になる

 

凡人とは才能のない者なのだろうか?特別になるためにはいったいどうすれば…

若い頃は誰しもが自分のうちの隠れた才能の発現を期待したのではないだろうか。しかし、そうした期待は年齢を重ねるごとに薄れ、ついには自分で自分の才能を見限ってしまう。

ところでこの文章を書いている彼にはすごい才能などなにもない。むしろ不器用の塊、凡人の中の凡人といって差し支えない器の持ち主だが、その彼がこの度結婚することになった。そして実は、その相手というのがあのアイドルAだったのだ。先日の同窓会の場で控えめにその事実を発表した彼は周りの注目を一身に受け、その日その場のスターとなった。

すると興味津津な様子で一人の女性が彼に近づいて聞いた。

「プライベートの彼女ってどんな人なの?」

彼は答えた。

「どうって、普通の女の子だよ。」

 

わたしは、この会話のなかに「特別になる」ためのヒントが隠されていると思った。

 

 

(399/400文字)

 

 

古市憲義著、『僕たちの前途』その2

読み終えた。後半は日本の起業家像の実態に迫るものだった。

おもに次の二点から日本の起業家について語られていた。

統計的に見た労働者のうち「起業家」と呼ばれるものがどの程度いるのか、また、こうした「起業家」やそれを指す言葉はいつ生まれ人々にどのようなイメージで用いられるようになったのかという二点である。

いくつか気になった事実があったので列挙したい。

 

企業による正社員雇用を目指さない非正規労働者のことをフリーターと呼ぶが、これは1980年代後半のリクルートのイメージ戦略によって生み出された。

当時この新しい言葉はプータローやアルバイターという言葉とちがって「自由」というポジティブなイメージを印象づけた。起業に雇われることを嫌う点では起業家もフリーターも共通点があり、両者を区別するものは能力と収入の有無である。

現在でもフリーターときけば夢を追う若者を思い浮かべることができることを考えるとリクルートの戦略通りというべきだ。そして同時に、この事実はいいように使われているだけの言葉があることを示している。

「起業家」という言葉も同様である。日本では福利厚生を政府が引き受けるのではなく、企業の制度として確率することでその実権を企業に任せてきた。だから日本という国の中では雇用されることの重要性が他国と比べて大きい。

しかし現在は企業に雇用されればひと安心、という時勢ではない。日本型の企業は成長に行き詰まりを見せており、この閉塞感を打ち破る存在が成長を描く物語に必要とされているのだ。

たしかに「起業家」という言葉はこの閉塞感を打ち破る言葉としていいように使われている。「サラリーマンとして働くのではなく起業家になる」だとか「日本経済の閉塞感を打ち破りイノベーションを生み出すのは起業家だー」とか言った言説は「起業家」という言葉がなにかの事実を指しているのではなく、現実に希望を抱けない人々や日本社会に希望を見せるためにいいように使われていることを示している。

 

しかしその実、日本は先進国の中でもとりわけ起業する者が少ない。

それは先述したように日本における雇用の重要性の高さが影響している。日本では企業に雇用されることで安定した生活を得ることができた。これは他の先進国では政府自らが行っている福利厚生を日本では企業に任せているからだ。しかしこの事実は、他国では自営業や専門職であっても日本よりは福利厚生を保障されていることの裏返しである。日本では企業に雇用されることが生活の基盤となってきたのだ。

こうした社会で起業家が生まれにくいのは想像に難くない。そもそもフリーターと起業家の区別も能力と収入の有無であること、そして雇用の重要性が高いこの国では「雇用されていない」生活は不安定にならざるを得ないことを考えてみる。リスクヘッジという言葉を知っていれば、企業に雇用されている方がよっぽど賢い選択と思うだろう。

ところで、近年ではこうした日本でも起業家が盛んに求められるようになってきた。しかしその数は10年以上前から横ばいだという。盛んにもなっているので政府も起業家を支援する政策を実施しているらしいが、彼女自身が戦後から築いてきた社会構造が起業を妨げていると考えると、敵は手ごわい。

 

以上がこの本を読んで気になった事実だ。

とくに日本の起業家という言葉の誕生とその用いられ方の変遷は読んでいておもしろい。文章もやわらかくて読みやすく、僕みたいな難しいことはさっぱり分からない学生にはぴったりだ。

 

 

 

以下は僕が気になった参考文献。

・マーチン・ファン・クレフェルト著、石津朋之監訳『戦争の変遷』原書房、2011年

・ウィリアム・バーンスタイン著、徳川家広訳『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』日本経済新聞社、2006年

・ポール・ロバーツ著、神保哲生訳『食の終焉 グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機』ダイヤモンド社、2012年

田中明彦『新しい中世相互依存深まる世界システム』日経ビジネス人文庫、2003年

 

 

古市憲義著、『僕たちの前途』その1

古市憲義著、『僕たちの前途』を読んでいる。

この本を読もうと思ったきっかけは二つ。

一つは古市という社会学者の名前に覚えがあったから。

大変若い学者さんでNHKのテレビで姿を拝見したことがあったように思う。

そしてもう一つには僕が「起業」について興味を持っていたからだ。

 

大学の図書検索サービスで「起業」と打ち込むと、この本のタイトルが浮いていた。

僕はとりあえず手に取って読むことに決めた。

まだ全てを読み終えてはいないが、この本の前半三章分はそれぞれ3人の起業家(起業家とは言わないほうがよいのかも)のこれまでの経歴とその経緯に焦点が当てられていて、どれもおもしろく読むことができた。

おもしろく読めた理由は、著者が彼ら三人の経歴や経緯を「成功者がなぜ成功したのか」や、「彼らはどうしてその変化(起業も含む)に至ったのか」などの最もドラマチックな点を描こうとしていないからだ。

 

どの方も若くして成功した傑物だ。

そして、人々はふつう彼らのようないわゆる「成功者」と呼ばれる人たちにはその成功を支える「なにか」があると思いがちだ。

しかし、この本の中で著者はその「なにか」を描こうとしていない。

なぜならばそれはその「なにか」が本質的には描けないものだからだ。

 

人は複雑な因果関係から現実で一つの結果を得る。

そしてこの因果関係にはある個人が今まで積み重ねた時間の流れが含まれる。

こうした流れが糸のように絡みあい一つの結果を現実にもたらすのだとすれば、これをたった一つのドラマチックな点や一つの大きな契機として描くことも、ある一時点における環境や能力、状態や動機などの様々な要素に分割して描くことも、どちらも不可能だ。

つまり、ある結果の原因は本質的に現在から過去を見返す反省の視点から「なるべくしてそうなった」としか描けないものだと言える。

 

だからこの本の中の傑物達は自然と変化(起業)することになる。

起業は彼らの日常、やりたいことや専門性の延長でしかないのだから、「続けていたら、そうなった」というかんじだ。

 

ところで僕が起業に興味を持っていた理由は、僕の中で未来に漠然とした不安があり、自分の今までの生き方を省みると、企業で働くことに積極的な意味を見出せなかったからだ。

「雇われて働くことで自分の好きなことができなくなるのではないか?」

「雇われて企業の中でで働くよりも自分の好きな仲間と働いた方が楽しいのではないか?」

「先があるかも分からない企業で働くよりも自分で事業を始めた方が未来が明るいのではないか?」

 

 

しかしこの本を読んで起業はすっかり諦めることはできた。

理由は三つに分けられる。

まず、僕には社長や経営者になってやろうという野心なんてない。

僕は野心があって起業したいと思っているのではない。あくまで企業に雇われることの否定として起業を考えていた。

 

もう一つは僕のやりたいことと起業とは直結していない。

僕は起業したいと思って起業に興味を持ったわけではない。起業の中身と僕のやりたいことが直結していなければ、雇われていようといまいと僕のやりたいことはできないだろう。

 

最後に、僕には専門性がない。

僕には確実に結果を残せる能力がない。起業という選択肢が僕の人生の中でなにかの延長として現れるのであれば、それは僕がいま現在続けていることの専門性に依るところが多いだろう。僕には結果を残せる専門性がまだ身についていないため、起業なんてもってのほか、おとぎ話だといったかんじだ。

 

以上の三つの理由で僕は起業をすっかり諦めた。

しかし本に出てきた傑物のように「続けていたら、そうなった」を実現するためには、なにかを続けて、その技を磨き続けることが必要なのだろう。

才能や経歴、動機も関係するのかも知れないが、どれも十分でない僕にとってはこれはあまり参考にならないし、すべきでない。

だから今はとにかく、やりたいことを何年でも続けて自分の専門性を磨きたいと思う。