そらとぶくうどう。

ベリリウムの電脳スペース。空飛ぶ空洞のブログです。

入間人間著、『電波女と青春男』 その1

僕が初めて藤和エリオと出会った時はテレビ画面の上だった。

OPが強烈だったことは記憶しているが、

思い返せば思い返すほどどうして見ていたのかは思いだせない。

 

「エリオがかわいい」の一心で見ていたのだとすれば

二次元美少女好きだから成せる業の深さを痛感する。

しかしながら業は今も目の前でどさどさと積まれているので

僕の痛感に反省を促す力はないようだ。

 

真人間の僕はラノベをしっかり読んだことがないのだが、

友人に借りたこともあってこの本はしっかり読んでみた。

まだ2巻までしか読み終えてないが、

現在の自分と重ね合わせて共感できる部分も多く、なによりおもしろい。

 

遊んだ言葉遣いとストーリーの極端さ、そして心理描写の分かりやすさが

難しいことはよくわからない僕の頭にぽつぽつスーっと染み込んで、

イイ感じだった。

 

ところで僕はyoutubeにあげられているこの動画が大好きだ。

編集のタイミングがバツグンで、見ていてゾクゾクする。

本やアニメを知らない人が、この動画を見て藤和エリオに惚れてしまったのなら

明日から業を積むことを覚悟しなければいけないよ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Nj598NpOxvA&list=PLHGgsMFeu8OZkvr6g2Th_E_O1e3zgOiTo&index=75

 

 

 

 

 

 

”エイプリルフールの日についたウソは実現しない。”

エイプリルフール2014 

”エイプリルフールの日についたウソは実現しない。”

 

と、今日友人から教えられました。

 

 

ところで、偶然にもこの文章をよんでおられるみなさん方には

文章の「今日」という部分がウソなんだとか、

だいたいこの文章全部がウソなんだとか、

お前の友人の存在がウソなんだとか、

ウソを疑う方法がいくらでもありそうですね。

 

しかし、こんな風にブログの中でさえ人を疑うのは心苦しいですね。

ではこの猜疑心から抜け出すにはどうすれば?

 

「そもそも俺にはお前の文章を信じる必要も根拠もないのだから、

お前がウソをついていよーがいまいが関係ない」

 

「俺はお前の文章を読まない」

 

「俺ははてなブログなんかやってない」

 

「実は、俺なんかいない」

 

 

”エイプリルフールの日についたウソは実現しない。”

 

 

 

 

読んで頂き、ありがとうございました。

おかげで、読んで下さった方の存在を感じることができました。

 

寛容と無関心

寛容と無関心
 
寛容と無関心は違います。
興味のあることに対してこだわりがない人がいます。「まぁなんだっていいよ」と言えてしまいます。このような人はその興味に対して無関心です。
こうした無関心な人々は他人や友人のいうことなすことを気に留めることなく許せてしまうため、よく「優しい」だとか「心が広い」とも形容されます。
しかし私見では、彼ら彼女らはそうした他人や友人のいうことなすことに対して鈍感である、もしくは最初から無関心であるだけだと思っています。
彼ら彼女らは他人や友人のいうことなすことをある程度気にしません。なぜならば最初から一線を引いて、これ以上は踏み込まない、ある程度最初から無視するつもりであるからです。その領域には無関心であるからこそ、なんでも許せるのです。
しかし言葉を変えれば、これはある程度他人のことがどうだっていいだけです。
僕は長いあいだ。こういった無関心を寛容と勘違いしていました。
 
寛容というのは無関心とはちがいます。
あんまり怒らない人がいます。僕もそういう人で、自分のことをわりかし寛容な人間だと捉えて来ましたが、それは違います。
自分はもちろん、そういう怒らない人々ははなからこだわっていないのです。
つまり、怒る必要がないから怒らないだけです。

はじめまして。

京都で学生をしている男です。

趣味は広く、浅く、くだらなく、てきとうに

絵を描いて音楽を作ります。

 

文章を書くことが苦手なのでその練習として

忘れっぽいので日常の記録として

そして自分の活動の報告の場として

よしなしごとを書いていくのでよろしくお願いします。