そらとぶくうどう。

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古市憲義著、『僕たちの前途』その2

読み終えた。後半は日本の起業家像の実態に迫るものだった。

おもに次の二点から日本の起業家について語られていた。

統計的に見た労働者のうち「起業家」と呼ばれるものがどの程度いるのか、また、こうした「起業家」やそれを指す言葉はいつ生まれ人々にどのようなイメージで用いられるようになったのかという二点である。

いくつか気になった事実があったので列挙したい。

 

企業による正社員雇用を目指さない非正規労働者のことをフリーターと呼ぶが、これは1980年代後半のリクルートのイメージ戦略によって生み出された。

当時この新しい言葉はプータローやアルバイターという言葉とちがって「自由」というポジティブなイメージを印象づけた。起業に雇われることを嫌う点では起業家もフリーターも共通点があり、両者を区別するものは能力と収入の有無である。

現在でもフリーターときけば夢を追う若者を思い浮かべることができることを考えるとリクルートの戦略通りというべきだ。そして同時に、この事実はいいように使われているだけの言葉があることを示している。

「起業家」という言葉も同様である。日本では福利厚生を政府が引き受けるのではなく、企業の制度として確率することでその実権を企業に任せてきた。だから日本という国の中では雇用されることの重要性が他国と比べて大きい。

しかし現在は企業に雇用されればひと安心、という時勢ではない。日本型の企業は成長に行き詰まりを見せており、この閉塞感を打ち破る存在が成長を描く物語に必要とされているのだ。

たしかに「起業家」という言葉はこの閉塞感を打ち破る言葉としていいように使われている。「サラリーマンとして働くのではなく起業家になる」だとか「日本経済の閉塞感を打ち破りイノベーションを生み出すのは起業家だー」とか言った言説は「起業家」という言葉がなにかの事実を指しているのではなく、現実に希望を抱けない人々や日本社会に希望を見せるためにいいように使われていることを示している。

 

しかしその実、日本は先進国の中でもとりわけ起業する者が少ない。

それは先述したように日本における雇用の重要性の高さが影響している。日本では企業に雇用されることで安定した生活を得ることができた。これは他の先進国では政府自らが行っている福利厚生を日本では企業に任せているからだ。しかしこの事実は、他国では自営業や専門職であっても日本よりは福利厚生を保障されていることの裏返しである。日本では企業に雇用されることが生活の基盤となってきたのだ。

こうした社会で起業家が生まれにくいのは想像に難くない。そもそもフリーターと起業家の区別も能力と収入の有無であること、そして雇用の重要性が高いこの国では「雇用されていない」生活は不安定にならざるを得ないことを考えてみる。リスクヘッジという言葉を知っていれば、企業に雇用されている方がよっぽど賢い選択と思うだろう。

ところで、近年ではこうした日本でも起業家が盛んに求められるようになってきた。しかしその数は10年以上前から横ばいだという。盛んにもなっているので政府も起業家を支援する政策を実施しているらしいが、彼女自身が戦後から築いてきた社会構造が起業を妨げていると考えると、敵は手ごわい。

 

以上がこの本を読んで気になった事実だ。

とくに日本の起業家という言葉の誕生とその用いられ方の変遷は読んでいておもしろい。文章もやわらかくて読みやすく、僕みたいな難しいことはさっぱり分からない学生にはぴったりだ。

 

 

 

以下は僕が気になった参考文献。

・マーチン・ファン・クレフェルト著、石津朋之監訳『戦争の変遷』原書房、2011年

・ウィリアム・バーンスタイン著、徳川家広訳『「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史』日本経済新聞社、2006年

・ポール・ロバーツ著、神保哲生訳『食の終焉 グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機』ダイヤモンド社、2012年

田中明彦『新しい中世相互依存深まる世界システム』日経ビジネス人文庫、2003年