そらとぶくうどう。

ベリリウムの電脳スペース。空飛ぶ空洞のブログです。

寛容と無関心

寛容と無関心
 
寛容と無関心は違います。
興味のあることに対してこだわりがない人がいます。「まぁなんだっていいよ」と言えてしまいます。このような人はその興味に対して無関心です。
こうした無関心な人々は他人や友人のいうことなすことを気に留めることなく許せてしまうため、よく「優しい」だとか「心が広い」とも形容されます。
しかし私見では、彼ら彼女らはそうした他人や友人のいうことなすことに対して鈍感である、もしくは最初から無関心であるだけだと思っています。
彼ら彼女らは他人や友人のいうことなすことをある程度気にしません。なぜならば最初から一線を引いて、これ以上は踏み込まない、ある程度最初から無視するつもりであるからです。その領域には無関心であるからこそ、なんでも許せるのです。
しかし言葉を変えれば、これはある程度他人のことがどうだっていいだけです。
僕は長いあいだ。こういった無関心を寛容と勘違いしていました。
 
寛容というのは無関心とはちがいます。
あんまり怒らない人がいます。僕もそういう人で、自分のことをわりかし寛容な人間だと捉えて来ましたが、それは違います。
自分はもちろん、そういう怒らない人々ははなからこだわっていないのです。
つまり、怒る必要がないから怒らないだけです。